男子第1回大会の記事
世羅が初代王者に
1着でゴールする世羅・岡河 |
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記念すべき第1回大会には、山梨県と米軍政下の沖縄を除く45都道府県代表が参加。大阪・堂島のビル街に伊藤貫三スターターの号砲が鳴り響き、50年に及ぶ歴史の幕が開いた。
前評判が高かった世羅は第1区を19位と出遅れたが、2区で16人抜いて3位に浮上し、3区で金足農をとらえてトップに立った。以後は5、6区の区間賞の快走などで独走態勢を築き、2位の金足農に2分以上の差をつけて初代王者に輝いた。栄えの優勝楯、カップが毎日新聞大阪本社の南部忠平運動部長から授与された。
■ レース評
目立ったゴボウ抜き
1区は新城・林が5キロを16分28秒で駆け抜け、区間優勝第1号に輝いた。矢掛、白河、盛岡、金足農と続き、東北勢が健闘。優勝候補の世羅は先頭から45秒もの差をつけられ、19位の苦しいスタートだった。しかし、2区に入ると世羅は荒谷が16人抜きをみせ金足農、若松に次ぐ3位に躍進した。風速10メートルの逆風に各走者が悩まされた3区でも世羅・鍛治谷のピッチは衰えず、中間の3キロ付近過ぎでついに金足農をとらえた。世羅は2位に15秒差で4区に引き継ぐと、5区の谷敷、6区の岡河の2枚エースが区間賞の力走でリードを広げ、1時間46分57秒でゴールテープを切った。2位には金足農が入り3、4位にはアンカーの力走で高鍋、厚木が浮上した。また、荒谷の16人抜きをはじめ、有田工・石橋の14人、四日市工・藪田の13人とダイナミックなゴボウ抜きもレースを盛り上げた。
記録的にも優秀
第1中継所=今宮高校前にて |
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予想通り世羅が第1走者で少し失敗したほかは、何の波乱もなく、しかも第5走者の谷敷からラスト岡河の力走はものすごく、他を引き離す完勝ぶりであった。記録的にも強風にもかかわらず、各自がそれぞれ5,000メートルを16秒台の平均で走ったことを示すもので、1校で多数の長距離選手を持つことは驚きのほかない。
2、3位もまた豊富な長距離走者を持ち上位入賞したが、本大会を目標に強化合宿を行ってきたことも見逃せない上位入賞の原因だった。区間記録を見ると、第6区岡河以下、すべて強風でなかったら5,000メートル15分台の実力者で、この躍進ぶりで明年の高校長距離界から近づく国際レースには多数の長距離第一線級ランナーを輩出することであろう。
【村杜 講平】◎ トピックス
初の実況放送も
開催当時は、終戦の社会的混乱がまだいえず、交通、食料事情が悪く、シューズも満足にそろっていなかった。それでも大会1週間前には美幌工が来阪したのを皮切りに雪のため地元での練習がままならぬ東北、北陸の各代表らが早めに乗り込んできた。NHKがわが国初の駅伝実況放送を行い、全国の駅伝ファンに高校ランナーたちの熱い息吹を伝えた。
突然の大役指名
毎日新聞大阪本社前をスタートする選手たち |
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記念すべき第1回大会のスターターを務めたのは、当時の日本陸連理事、伊藤貫三さん(91)=神奈川県藤沢市在住。専大時代に箱根駅伝を走った長距離選手で、毎日新聞大阪本社運動部長の南部忠平部長(ロサンゼルス五輪三段跳び金メダリスト)、村杜講平さん(ベルリン五輪5,000メートル、10,000メートル各4位)とは顔なじみ。高校生の駅伝大会を始めるので見にきてくれ、と南部さんから電話で要請されたそうで、顔を出すといきなり南部さんが「スターターをやってくれ」。当日、毎日新聞大阪本社前のスタートライン横の歩道際で号砲を打つと、白いズボン、上着を脱いで2区中継点までひとっ走りした、という。「沿道の人が多かったのと、天気が良かったのを覚えているよ。記録は今のようなコピーがないので、ガリ版刷りだったが、裏方の人たちはみんな張り切っていた。あの大会が50回になるんだねえ」と伊藤さんは感慨深そうに振り返る。