男子第17回大会の記事

【「全国高等学校駅伝競走大会 50年史」(全国高等学校駅伝競走大会実行委員会・2000年5月発刊)より抜粋】

現在の校名・旧校名一覧

都大路で中京商大会新

中京商のアンカー筒井、大会新でゆうゆうゴール(西京極競技場で)
中京商のアンカー筒井、大会新でゆうゆうゴール(西京極競技場で)

アンカー筒井清司選手が白いテープを切って、中京商は3年ぶりに再び高校駅伝の王者となった。2時間9分28秒の大会新記録である。白熱のレース絵巻を繰り広げた。充実したオーダーを組む中京商は2区で永田が首位に立ち、以後ライバル福岡大大濠を寄せつけず、さきに高校最高記録(2時間9分2秒)を出したチームにふさわしく、堂々たる圧勝だった。従来の大会記録は第15回大会に盈進が作った2時間10分10秒。

■ レース評

中京商、危なげなく

スタート後1キロ、1区の大集団の先頭争い
スタート後1キロ、1区の大集団の先頭争い

実力接近の1区は伊藤(三重・神戸)がダークホースに。中京商の奥村をはじめ、保善、西海学園、福岡大大濠、金足農、中津商、盈進などが追った。上り坂で余力を見せ、下り坂でぐんぐんストライドを伸ばす伊藤の30分31秒は立派。奥村は7秒差で伊藤に続き、大濠や中津商、盈進などを抑えたので、中京商の前途は早くも明るく開けた。

2区は中京商・永田が700メートル地点で神戸を捕らえた。大濠も小野が2人抜いて2位に。永田はじりじり差をつけた。3区中京商は加藤が差をさらに開く。中継点が近付くにつれピッチを上げた。大濠は中津商との2位争いに終始。

前半のラップは中京商が1時間3分54秒、高校最高の時より12秒劣るが、盈進が大会記録を作った時より1分52秒早い。記録更新の望みが大きく膨らんだ。4区竹内が決定的にリードを奪った。大濠は中津商にも一歩譲って折り返した。4区から5区に移る時1分25秒と開いた。

5区では大濠が5秒詰めただけ。6区の山登りでは逆に中京商の長谷川が29秒の差をあけ、最終区で大濠・田ノ上が必死の頑張りを見せたがどうにもならなかった。

◎ トピックス

第1回国体の主会場

出発、決勝点となる西京極競陸上技場は、京阪神急行(現阪急電鉄)の西京極駅から徒歩5分。京都市スポーツセンターの一角を占める。ここは陸上競技場のほかに、野球場、プール、相撲場、体育館、現在計画中の球技場、そしてサブトラック、道路、緑地帯を含めて総面積14万5,710平方メートルの総合運動公園。昭和17(1942)年に開設した陸上競技場は最近の競技場のような豪華さはないが、スタンドを取り巻く植え込みが、しっとりと京都らしく、レンガ色のアンツーカーと調和している。昭和21(46)年、第1回国体の主会場となったことは、もう人々の記憶に薄くなっているようだ。

踏切はすべて立体交差

動くセンターライン……名物となった白バイの完全警備
動くセンターライン……名物となった白バイの完全警備

前年まで大会を行った大阪の交通量が飽和状態となり、京都に移って1年目の大会。

コースは国鉄(現JR)、私鉄、高速道路と往復延べ10ヵ所で交差するが、踏み切りは1ヵ所もなく、全部立体交差。「行って帰って、また行って」という変則コースとはいえ、西京極以西で待機すれば4度レースが見られ、中継点で待つ選手や応援団にとって好都合だった。前年の長居コースのように極端な曲折もなく、歩道も完備しており、選手にとって走りやすい。しかも、1、6、7区のこう配が、レースに大きな変化をもたらす難所として、興味を広げた。

区間新が5人も

日本高校駅伝史上、始めて2時間10分の壁を破った大会にふさわしく、個人記録も優秀だった。3区(8.1075キロ)で加藤了(中京商)=24分31秒▽頭島幸司(中津商)=24分49秒▽森山博史(福岡大大濠)=24分54秒―の3人が、また7区(5キロ)でも折田幹雄(鹿児島実)=14分51秒▽田ノ上貢一(福岡大大濠)=15分1秒―の2人が、それぞれ区間新記録を達成した。このうち、加藤は数十メートルだった2位・福岡大大濠との距離を徐々に広げ、大会新記録での優勝に大きく貢献した。