男子第21回大会の記事

【「全国高等学校駅伝競走大会 50年史」(全国高等学校駅伝競走大会実行委員会・2000年5月発刊)より抜粋】

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相原完勝。関東勢初V

相原アンカー、福寿が最後の力を出し切って初栄冠のテープを切る
相原アンカー、福寿が最後の力を出し切って初栄冠のテープを切る

相原が完勝し、夏のインターハイと冬の駅伝のダブル・タイトルを獲得、関東に初めて優勝をもたらした。2冠をかち取ったのは、1951年の世羅以来19年ぶり史上2度目。第1区のエース・服部で予想通りトップに立った相原は、6区で常盤の急追を受けたが、順調なリレーを続けてアンカー・福寿が2時間11分36秒で逃げ切った。

2位は常磐、3位は世羅。有力候補の中京と小林は出足の不振がたたり、下位入賞にとどまった。高知農、萩、佐伯豊南は初入賞を果たした。

■ レース評

光る宗弟の力走

いっせいにスタートする第1走者たち(西京極競技場前で)
いっせいにスタートする第1走者たち(西京極競技場前で)

相原は1区のエース・服部が上り坂の前半、早くもトップに立ち、後半、得意の下りにかかると、軽快なピッチ走法でぐんぐん先頭を切った。関東同士で手のうちを知っている池田(飯能)が食い下がったが、それも5キロまで。服部は29分台の好記録で2区に引き継いだ。

2区に入ると、世羅、常磐両強の追い上げが始まり、世羅は一気に2位、常磐は3位にのし上がった。ところが、3区で世羅は金広が意外と伸びず、常磐もほぼ同じ差を維持しただけで、相原に迫ることができなかった。高知農、常磐、興譲館、飯能の集団が相原を追ううち、佐伯豊南が宗弟の6チームごぼう抜きの力走で相原を詰め、盛り上がった。次の4区にリレーする時は、わずか8秒差と迫ったのだから、その力走はあっぱれだった。

しかし佐伯豊南は、4区以降が力不足。4区にタスキが渡ると、スピードのある相原の佐藤誠はすぐ佐伯豊南を突き放した。6、7位に逆戻りした常磐と世羅は、それぞれ桑原、谷川がペースをわきまえてレースを運び、せり上がったものの、目指す相原ははるか前方だった。

◎ トピックス

記録板に一喜一憂

1区を集団でひた走る選手たち=毎日新聞社ヘリ“ジェット・レンジャー”から写す
1区を集団でひた走る選手たち=毎日新聞社ヘリ“ジェット・レンジャー”から写す

大会本部の京都市体育館玄関に取り付けられた大きな記録板前には、約500人のファンが集まり、刻々と書き込まれる各区間の記録に一喜一憂。ここには、ことしも陸上自衛隊大久保駐とん地の通信業務のベテランが参加、各中継点には隊員3人と無線機を配備、タイムが本部前の基地車に集まる仕組み。「沿道で応援するより、この方がよくわかる」となかなか好評。

成長の高知農

第12回大会では最下位に甘んじた高知農が、4位入賞。1区に信頼できるエース・野中を持つうえ、全員がよく走り込んでいた。大きなブレーキになる選手もなく、7区間を順調に走り抜いた。大会前、「歴代のチームで、ことしが一番強いので期待している。目標は初入賞だ」と話していた有沢監督の粘り強い指導が結実した。