男子第24回大会の記事

【「全国高等学校駅伝競走大会 50年史」(全国高等学校駅伝競走大会実行委員会・2000年5月発刊)より抜粋】

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小林5回目の優勝

両手でVサインしながらゴールインする小林・吉村
両手でVサインしながらゴールインする小林・吉村

オープン参加の大聖(韓国)を含む47チームが出場し、小林が5回目の優勝を飾った。優勝タイムは2時間11分56秒だったが、1区の競技場周回で不手際があり、1周(400メートル)少なかったため、通算タイムと1区の記録は参考記録となった。小林は1区で田中が首位を射程圏にとらえる好調な出足。3区・弓削の好走で先頭に立つと、4区以後は冷静にリードを守って西海学園、大濠の追い上げを振り切った。

2位は西海学園、3位は大濠で九州勢は7チームすべてが入賞した。遠来の大聖は4位に相当する2時間13分13秒でゴールインした。

■ レース評

弓削、一気にトップ

小林・弓削は中京、九州学院に次いで3区の中継点を飛び出した。昨年4区で失敗している弓削は慎重だった。前を行く中京の原勝、九州学院の今坂はややハイペース。原勝は前半軽快なスピード、大きなストライドで今坂を引っ張る。順位こそ変わらなかったが弓削が遅れて見えた。が、弓削はじっとセーブしていた。一挙に優位に立ちたい原勝と今坂は、3.5キロを過ぎるあたりから足の上がりが悪くなった。計算通りの展開に弓削は、4キロ付近で並ぶと、なんなく抜き去った。満を持していた弓削は軽いピッチ走法でじりじり距離を広げ、完全な独走態勢を確立、興味は西海学園、大濠の九州勢同士の2位争いに移った。

西海、大濠は同じようなタイムで4区のタスキを受け取り、互いに譲らず、このペースは5区も同じ。6区で少し差がついた。7区の中継点まであと100メートル。西海・円田が大濠・空閑に水をあけ、大濠がタスキの引き継ぎをもたついている間に、西海は一度は50メートル差とした。大濠のアンカー山田ががんばってゴールの西京極競技場に入ってきたときは、4~5メートルまで詰めたが、西海・友田が逃げ切った。

◎ トピックス

四日市工・瀬古利彦

“花の一区”で区間賞をとった四日市工の瀬古
“花の一区”で区間賞をとった四日市工の瀬古

西大路三条まで、菊地原(相原)らと4人で首位を競い合ったが、あと1キロ地点で一気にスパート。上体が揺れず、ひざがよく上がる流れるようなフォームで相原に3秒の差をつけた。2区・岡野に中継し終えたときはさすがに苦しそうで、左手でわき腹を押さえたが「区間賞をとれてうれしい。参考記録なのが残念ですが……」と素直に喜びをかみしめていた。

桑名市・明正中学時代は野球部の選手だった。1年のとき5キロの校内マラソンでいきなり優勝。それ以来、陸上競技部から「頼む」とレースに狩り出された。2年生の県大会2,000メートル6分3秒2は、いまも三重県記録として輝きを放っている。

高校に入ると、インターハイ800メートル、1,500メートル、秋の国体で1,500メートル5,000メートルと3種目のタイトルを握った。「距離が短かったそうですが、来年はぜひ区間記録を更新したい」と自らに誓っていた。機械科2年、169メートル、63キロ。3人兄弟の末っ子。

みんなつられ参考記録

周回が少なく参考記録となった1区。昨年も同じ1区を走った“区間賞”の瀬古(四日市工)は「昨年は、もう1周走ったのではないかな、と思いながら、みんなが出て行くのでついて行った」とニガ笑い。ヘルシンキ五輪5,000メートルの銅メダリスト、シャーデ(西ドイツ)を迎えて、大阪市立運動場で行われた5,000メートルレースで“1周不足”だったのは有名な話だが、「ロードレースで間違えたのはおそらく初めてではないか」と、現場の競技役員はシュンとしていた。

記録

あっ1周足りないぞ

スタートのとき、競技委員の不手際から1区の走者が競技場を1周(400メートル)少なく走るハプニングがあった。ゲートで指示する競技役員の勘違いで、グラウンドを2周と4分の3回らなければならないところを、1周と4分の3で出してしまった。閉会式で川田審判長(陸連審判部長)は「申し訳ないことをした。ラップで気付き、7区の距離を伸ばして総距離を同じにすることも考えたが、この駅伝は各区の距離が決まっており、1、7区の2人の走者の記録が参考記録になるので距離不足のままレースをすませた」と説明した。