男子第25回大会の記事
世羅、8分台の大記録
大会新記録でゴールのテープを切る、世羅のアンカー福場 |
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初めての2時間8分台。高校最高記録を22秒も更新する2時間8分40秒の大記録で世羅が優勝した。従来の記録は1966年の東海大会で中京商がマークした2時間9分2秒、大会記録は同じ年に同チームが作った2時間9分28秒だった。
世羅は1区のエースの小山がトップに立ち、3区で早くも勝利を確定的に。後半も記録を狙って手綱をゆるめず、六つの区間賞を奪う独走で2年ぶり通算4回目の栄冠を握った。小林は1区でやや遅れて2位争いに終始、最終区の競り合いで大牟田にかわされ3位に終わった。
■ レース評
初の8分台、ひた走り
接戦の末2位でゴールインする大牟田のアンカー吉富(右)と3位の小林のアンカー山下(左) |
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胸のすくような世羅の快走。大会記録どころか、中京商が8年前に記録した高校最高記録を大幅に更新、“夢の8分台”を実現した。
1区は高校ナンバーワンの瀬古(四日市工)をはじめ、小山(世羅)、弓削(小林)、吉末(鳥栖工)、堀(萩)の九州、中国勢が一団となってスタートした。瀬古は6キロ地点でトップに立ったが、7キロ地点でつかまり、堀、吉末がトップ争いを繰り広げた。ところが、50メートル遅れて満を持していた小山が9キロ地点でスパート、2人を抜いてトップで中継した。勝負としてのおもしろさはここまで。あとは世羅の快走また快走で2位との差は開くばかりだった。
2位争いは激戦だった。世羅とともに優勝候補に挙げられていた小林は、前半の伸び悩みがたたり苦しいレース運び。5区で大牟田と並び、そのままゴールの競技場まで競り合いを繰り広げたが、大牟田のアンカー吉富がわずかに胸一つ抑えて2位、小林は1秒差で3位だった。
優勝した世羅を除いて全般に順位争いにこだわる傾向がみられ、記録に対する積極性を欠いたのは残念だった。
◎ トピックス
残念連発“常勝”瀬古
“常勝”瀬古が敗れた。1年のときから1区を走って3年目。今年はインターハイ800メートル、1,500メートル、秋の国体では1,500メートル、5,000メートルと3種目のタイトルを取り、試合前「絶好調、区間記録を狙います」と自信たっぷりだっただけにしょげようも大きい。スタートから5キロぐらいまでは体も軽く思いどおりだったという。ところがいざスパートというときになってスピードが鈍った。「6キロくらいから急に腹が痛くなって……。あんな経験は初めて。高校最後のレースだったのに」と残念がっていた。
記録より参加に意義
「練習と根性です」と話す沖縄代表の辺土名チームを育てた“姉さん”監督の崎浜教諭 |
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7年ぶり、本土復帰後初めて沖縄から出場した辺土名は2時間30分を破ったばかりか、予選記録を3分31秒も縮めた。順位こそ45位だったが、ただ一人の女性監督・崎浜幸子先生は「やっぱり来て良かった。今まで6年間、沖縄高体連は“運営に迷惑をかけるような悪い記録では代表を派遣できない”と2時間25分を“自主規制ライン”にしてきた。でも全国大会の刺激を受けることで強くなれる」と参加の意義を強調した。カゼが大敵と練習以外は外出禁止を通してきたので、23日に初めてゆっくり京都を見物し、24日に帰郷するそうだ。
“甲子園の夢”駅伝に
甲子園の強打者が、ユニホームを着替えて駅伝に。一関商工のアンカー中島は、夏の高校野球選手権に主将として出場した。校内マラソン(8キロ)優勝の“足”を陸上競技部の小岩光宏監督に買われて駅伝の県予選に参加、アンカーとしてトップでテープを切り、二つのクラブを全国大会出場に押し上げた。