男子第37回大会の記事

【「全国高等学校駅伝競走大会 50年史」(全国高等学校駅伝競走大会実行委員会・2000年5月発刊)より抜粋】

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市船橋が初優勝

2時間6分30秒で初優勝、ガッツポーズでゴールインする市船橋のアンカー小池
2時間6分30秒で初優勝、ガッツポーズでゴールインする市船橋のアンカー小池

市船橋が全国高校最高記録で初優勝―。レースは有力校同士が激しく競り合う展開となったが、着実に追い上げた市船橋のアンカー小池が最終7区で藤沢商の増田を逆転、2時間6分30秒の大会新記録をマークして、出場2回目で高校駅伝の頂点にたった。関東勢の優勝は第21回大会(1970年)の相原以来、16年ぶり2回目。5年間続いた兵庫県勢の連覇にピリオドが打たれた。

2位に4連覇を狙った報徳学園、3位に藤沢商が入った。20位までが2時間10分と台となり、すさまじいレベルアップが目立った。

■ レース評

報徳のV4阻む

市船橋が会心のレースで終盤の強さを発揮した。1区中間点までは、けん制しあってスローペース。8キロすぎに吉田(世羅)がスパートし、山頭(西海学園)を約40メートル離して2区へ。3位に鳥栖工がつけ、埼玉栄、藤沢商、浜松商と続いた。市船橋・大胡はトップから190メートル差の12位、報徳・西尾は220メートル差の15位。

2区になっても世羅は瀬戸が区間賞をとり、2位・鳥栖工との差は80メートル。報徳は、東川が追い込み10位に浮上してきた。しかし、まだ世羅との差は、市船橋210メートル、報徳275メートル。3区で波乱が起こった。世羅・今田が大ブレーキ。4区中継点ではトップと260メートルで早くもV圏外に。後半に強い藤沢商は4区からトップを快走、5区で鳥栖工に1位を譲ったが、6区で再びトップへ。市船橋も追い上げ6区で2位。報徳も4区・波越の力走で4位に上がり6区で3位に。

7区は市船橋・小池と藤沢商・増田が肩を並べ、報徳・木戸が80メートルで追う展開。2キロすぎに小池がスパート。遅れる一方の増田をかわして木戸が2位になったが、小池との差は縮まらず、小池はそのまま全国高校最高タイムでゴールに飛び込んだ。

◎ トピックス

市船橋・小出義雄監督 16年ぶり関東勢優勝

息せき切ってゴール地点の西京極競技場に駆け込み、インタビュー中の選手とがっちり握手。「6区が心配で、その中継点の手前にいました。道路がこんでいて優勝の瞬間が見られないなんて選手に申し訳ない」

昨年、初出場で4位。今回は“ストップ・ザ・報徳学園”を果たしたばかりか、記録まで書き換えてしまった。

「優勝はほとんど意識しなかったが、記録は2時間6分32秒程度の計算でした。思い通りです」。そりゃ、うれしいですよ、と何度も口にしながらも、それほどの気負いは見られなかった。

佐倉市の農家の長男に生まれ、中学時代から走り出した。高校卒業後、「農家を継いでほしい」という両親と、「大学に行って走り続けたい」本人の間で話し合いが続き、結局、進学まで4年かかった。順天堂大学では1年からレギュラーで、箱根駅伝で活躍。卒業した翌年の1966年には別大マラソンにも出場している。「趣味は走ること。そして子供たちの走るのを見ること」

佐倉高監督時代の78、79年に全国大会に連続出場。現在の学校着任したとき、4年で県大会で勝ち5年目に全国制覇する目標を立てた。「いい選手が集まった」せいもあり、今回は2チームが組めるほど層の厚さを誇った。レース前、選手には伝統も大事だが、走るのは君たちと同じ高校生。練習での力に自信を持とう」と声をかけた。早々と全国優勝の“夢”を成し遂げてしまっても、「いや、これからです。来年はもっといい記録が出せると思います」

現役マラソン選手がコーチ

初優勝した市船橋を支えていたのは、現役マラソンランナー・渡辺敏彦教諭(27)だった。渡辺教諭は、かつて小出監督がかつて指導していた千葉県立佐倉高校の陸上部出身で明大卒。マラソンの現役中堅選手で、同監督から要請を受けて2年前、市船橋へ。地理と現代社会を教えながら連日30キロをこなす選手のコーチ役を務めた。初優勝を果たした後、渡辺教諭は小出監督とがっちり握手。「連中、どんどん勝手に走っちゃいましたね」とおどけてみせた。

記録

高校最高、大会新記録

市船橋が2時間6分30秒をマーク。報徳学園は、2時間6分43秒で、前回の第36回大会で同校が出したこれまでの記録と並んだ。


区間新記録

3区で大津睦(藤沢商)が24分11秒で記録。


区間タイ記録

7区で木戸真樹(報徳学園)が14分34秒で記録