男子第63回大会の記事

豊川 初出場初V

男子 1位でフィニッシュする豊川の皆浦選手
男子 1位でフィニッシュする豊川の皆浦選手

豊川(愛知)が大会歴代4位の2時間2分55秒で、62年の福岡大大濠(福岡)以来、6校目の初出場での制覇(50年の第1回大会を含む)。連覇を狙った世羅(広島)は5位だった。

■ レース評

豊川 狙い通りのレース運び

豊川が狙い通りのレース運びで逆転し、逃げ切った。1区の服部が1秒差の2位でつなぎ、2区の米田が粘って順位をキープ。3区のズクが1キロ付近で先頭に立つと、後続に1分以上の差をつけ独走状態に。その後も4区の一色が区間賞を奪うなど安定した走りでリードを広げた。西脇工は4区の広田が5人抜きで2位まで浮上したが、届かなかった。連覇を狙った世羅は最後まで波に乗りきれず、5位に終わった。

転校の服部「一番幸せな瞬間」

3区1キロ付近、伊賀白鳳の坂田を抜き去る豊川のズク
3区1キロ付近、伊賀白鳳の坂田を抜き去る豊川のズク

これが仙台育英から豊川に転校した選手たちが待ち望んだ瞬間だったのか。右手を高々と突き上げてフィニッシュする最終走者の皆浦に、エースの服部は静かに自分のまとうベンチコートを掛けた。皆浦は出場した7人の中で唯一の地元選手。2人は仲間たちとそっと抱き合い、健闘をたたえ合った。

3区を終えて2位とは1分15秒差。ケニア人留学生のズクが区間記録に7秒差と迫る好走を見せた時点で、森監督は優勝を確信したという。だが、勝負の行方は1区の時点で決したと言える。区間賞にこだわらず、先頭集団に付くことだけを考えたという1区の服部がトップと1秒差の2位。ライバルである西脇工に20秒差を付けたことが、選手たちの心にゆとりを生んだ。指揮官が「ひとつひとつの区間を選手たちがきっちり走ったのが勝因」と語るゆえんだ。

7人中5人が仙台育英からの加入。元々、強くなる環境を求めて、新潟や京都、福岡など全国各地から集まった選手たちだ。「自分の選択は間違っていなかった」と語る服部の視線は、どこまでもまっすぐで力強い。

ただ、同じ初優勝でも地元選手だけで全国制覇を遂げた2年前の鹿児島実が見せた無邪気な笑顔とは対照的だった。他の指導者からも“補強”とも呼べる転校劇に改めて批判の声も上がった。森監督は「良かったのか、悪かったのか。僕の口からは言えない。それを言えるのは、これだけに懸けてきた選手たち」と話す。ならば彼らの言うように「今までで一番幸せな瞬間」(服部)だったのだろう。

【田原和宏】

◎ トピックス

「速ければいいわけじゃない」留学生に門戸開放、青森山田監督が勇退

レースを大きく左右する外国人留学生が全国高校駅伝に初めて登場したのは、20年前のことだ。当時ケニア選手を勧誘したのは、仙台育英を率いていた青森山田(男子)の二階堂勉監督(67)。留学生に門戸を開いた先駆者は「少しゆっくりしたい」と今大会で勇退することになった。

仙台育英時代を含めて指導歴は45年。91年の世界選手権東京大会でケニア選手の活躍に魅せられたのが、きっかけだった。93年に全国制覇した頃は、影響力の大きさに周囲から批判を受けた。だが、ハングリー精神に満ちた姿勢など日本選手が学んだことは多い。この日、青森山田の3区で17人抜きをしたマイナについて、主将の柿本は「練習では先頭を引っ張ってくれる。トレーニング方法も参考になった」と感謝した。

男子で頂点に立った豊川を含め、現在も留学生の快走で大勢が決するレースは多いが、二階堂監督は「速ければいいわけじゃない。教育を忘れないでほしい」と願う。生活面に課題があれば、留学生でも決して起用しなかった監督のメッセージだ。

【井沢真】