男子第71回大会の記事

男子レース経過

1位でフィニッシュする世羅男子の塩出翔太
 世羅が3区でトップに立ち、そのまま逃げ切った。トップの九州学院と20秒差でたすきを受けた3区・コスマスが区間新の快走で首位に立ち、以降は1位を一度も譲らなかった。2位の仙台育英は5区・小原、6区・堀の連続区間賞などで後半に追い上げたが、最後は13秒届かなかった。3位の洛南は終始3位以内を保つ安定したレース運びを見せた。倉敷は3区・イマヌエルが区間4位の走りで流れをつかみ4位。佐久長聖は終盤に後退し5位だった。

■ レース評

大会新あと13秒

3区で先頭に立つ世羅のコスマス・ムワンギ(右)。左は九州学院の田島
 トラックの最終コーナーを回ると、勝利を確信した世羅のアンカー・塩出が右手人さし指を突き上げた。2位の仙台育英・白井に激しく追い上げられる展開にも、「自分の走りをすれば勝てる」と冷静にペースを制御した。両腕を力強く広げ、歓喜のフィニッシュテープを切った。
 3区・コスマスの区間新の快走で2位に55秒の大差をつけてトップに立つと、後続の4選手も貯金を生かしてリードを保ち続けた。区間賞獲得はコスマスのみだったが、穴もない安定したレース運びが勝因。勝利に貢献したコスマスは、狙い通りの区間記録更新に「ハイペースを保てた。とてもうれしい」と喜んだ。
 世羅の強さを生んでいるのが、学校近くの自然に恵まれたクロスカントリーコースだ。アップダウンの激しい往復約5キロのコースを、週2回ほど走り込んで脚の筋力を養う。さらに未舗装の土手道を活用し、どんなコースにも対応できる力を身につけてきた。
 こうした練習を繰り返すことに加え、塩出は「今年は選手同士でタイムを意識し合い、力がついた」と明かす。今季、5000メートル13分台の選手は留学生を含めて4人。その一人である塩出をアンカーに温存できる選手層の厚さが実現した。
 出場50回目の節目に、大会最多を更新する10回目の優勝。ただ、チームが目標に掲げた大会記録の更新には13秒、及ばなかった。2年生の塩出は「来年こそ大会記録を更新して優勝したい」。都大路の主役を譲るつもりはない。【伝田賢史】

仙台育英、意地のギア 逆転狙うも連覇届かず

 「王者」の意地だった。第6中継所。仙台育英の7区・白井はトップと31秒差でたすきを受けるやいなや、トップギアに入れた。
 白井は5000メートルで13分58秒の自己ベストを持つが、トップの世羅・塩出は13分57秒。同等の力を持つ相手に対し、5キロで30秒差を詰めるのは並大抵のことではない。真名子圭監督も「正直ちょっと難しいかな、と思っていた」。最初の1キロ。時計を見ると2分32秒というハイペースだった。2.5キロ地点で約10秒も差を詰めた。
 世羅の緑ウエアが徐々に大きくなるが、そこからが遠い。「疲れて3キロを過ぎてペースが落ちた」。世羅の背中を捉えられなかったが、区間歴代3位の快走だ。真名子監督は「普通なら2位でしのぐ場面。うちの強さを見せてくれた」と涙を流した。
 新型コロナウイルスの影響で、春先に各選手が実家に帰省。活動再開後も練習時間は限定され、記録会や大会の中止も相次いだ。「いろんな人の支えがあった。最低限の姿は見せられたかな」と白井。合計タイムは堂々の歴代6位。どんな逆境にも決して屈しない――。最後まで「王者のメンタリティー」を貫いてみせた。【大東祐紀】

◎ トピックス

洛南、日本選手のみ高校新

 2008年に佐久長聖(長野)が記録した日本選手だけの日本高校最高記録を11秒更新した洛南。奥村隆太郎監督が「常に入賞圏内で走れたいいレース」と言うように、7人いずれも粘りを見せた。
 中でも、チームをけん引したのは「留学生と競いたい」と外国人選手が集まる3区を志願した佐藤だ。23分40秒で区間日本選手トップの快走。今秋は中距離を中心に練習し、トップスピードを上げたことが奏功し「一つでも順位を上げられてよかった」と笑みを見せた。アンカーの溜池も踏ん張った。最後の150メートルで倉敷(岡山)の選手が背後まで迫っていることに気付き「フォームがめちゃくちゃになっても負けたくない」と疾走。1秒差で競り勝った。「常に前へ」のスローガンを掲げる。奥村監督は「苦しくなった時こそ前に出る。どの選手もこれができた」。早くも選手たちは「1番になる」と来年の目標を語り出す。この姿勢こそが、強さの源泉だろう。【森野俊】

高知中央が失格 3区、たすき受け渡しミス

 初の都大路は思わぬ幕切れとなった。たすき受け渡しの規則違反で失格になった高知中央。コロナ禍も絡み、野尻育男監督は「浮足立ち、悪い結果になる予感が少しはあった」と悔しがった。
 違反があったのは第2中継所。3区の1年生留学生・グレが45番目で来たチームメートからたすきを受ける際、足が中継線から2区側に出ていたという。大会事務局によると「たすきを受け取る走者は前走者の区域に入ってはならない」などと規定されている。
 ケニア出身のグレはコロナの影響で出国できなくなり、来日が当初予定の春から10月中旬にずれ込んだ。その後も2週間は隔離期間で登校できず、全体練習に参加できたのは県予選前日。予選はぶっつけ本番ながら3区区間新の走りで初の都大路出場に貢献したが、その後の四国地区大会は中止になり「駅伝経験がなさ過ぎた」と野尻監督は言う。責任感の強いグレの性格にも触れ「あれだけ後ろだったので、焦ってたすきをもらいに行ったんだと思う」とおもんぱかった。【北村栞、野村和史】