男子第74回大会の記事

男子レース経過

男子の1位でフィニッシュする佐久長聖の篠和真
男子の1位でフィニッシュする佐久長聖の篠和真
 佐久長聖は2位でたすきを受けた3区の山口が外国人留学生がひしめく中で区間3位の好走を見せ、トップに立った。5区の佐々木が区間記録を約半世紀ぶりに更新。6区の吉岡も区間賞で後半に突き放し、大会新記録でフィニッシュした。2位の倉敷は1、2区で出遅れたが、3区のキバティが区間賞の力走で14人を抜き、3位に浮上。4区の桑田が区間賞の走りで2位に上げ、そのまま順位を守った。八千代松陰は区間トップで走ったアンカーの平山が順位を三つあげて3位に入った。4位の須磨学園は1区の折田が首位でつなぎ、2区以降も上位をキープした。

■ レース評

◇佐久長聖V 圧巻の層 5区、半世紀ぶり快走 日本選手のみ大会新

5区、力走する佐久長聖の佐々木哲
5区、力走する佐久長聖の佐々木哲
  最短区間の5区3㌔に5000㍍14分3秒台の記録を持つ選手を置ける層の分厚さ。佐久長聖は他を寄せ付けなかった。日本選手のみで大会記録を10秒更新し、2位に1分49秒の大差で3度目の優勝を飾った。
 5000㍍13分台の選手が6人おり、レース前から優勝候補筆頭だった。昨年優勝で留学生を擁するライバルの倉敷が1区で大きく出遅れると、佐久長聖の高見沢勝監督は「安心感が生まれた」という。4区で倉敷に15秒差に詰められたが、佐久長聖の強みは後半だった。  5区は3㌔と短いが、上りのコースのため地力の差がタイムに大きく影響する区間だ。ここで佐久長聖は持ちタイムが7人の中で唯一14分台の佐々木哲を起用した。他校ならエース級の選手を5区に配置できるぜいたくな布陣だった。
 佐々木は1972年の第23回大会で誕生した区間記録8分22秒を8秒更新する快走を見せた。倉敷との差を51秒に広げて勝負を決め、「(8分22秒は)約50年前の記録とは聞いていた。(更新を)狙える状態で自信はあった。しっかり突き放せてチームに貢献できてよかった」と喜んだ。
 佐久長聖は過去2度の優勝経験があり、全国から素材のいい選手が集まる。卒業生には大迫傑(ナイキ)らオリンピック代表選手も複数いる。陸上競技に取り組む意識の高い集団で、選手が切磋琢磨(せっさたくま)できる環境は、高見沢監督が言う「伝統の力」である。  昨年は日本選手のみの高校最高記録を更新したが、倉敷に敗れて2位。今年は倉敷が前回作った大会記録を塗りかえた。3000㍍障害の高校記録保持者で、1区4位としっかり流れを作った永原颯磨主将は「史上最速、最強なんじゃないかな」と誇る。持ちタイムの速さ通り、力を出し切った。【荻野公一】

◇ 倉敷、悔いなし 連覇プラン失敗、力走で挽回

 連覇の夢がついえた倉敷だが、中元健二監督は2位という結果に悔しさよりも、むしろ「生徒を褒めたい」と喜びを口にした。理想的とは言えない展開に陥っても踏ん張り続けた選手たちの精神的成長がうれしかった。
 2区を終えた段階で17位とスタートダッシュに失敗したが、3区のサムエル・キバティ、4区の桑田駿介の両3年生が連続区間賞と力走し、2位に浮上した。ただ、倉敷としては本来はここでトップに立っていたかった。
 プランが崩れ、優勝の可能性は小さくなった。しかし、残る選手たちはズルズルと崩れることなく好走した。その背景には、今年コーチから昇格した中元監督が説く自主性の大切さがある。アンカーの生田鼓太郎は「前は言われた練習をやるだけ、みたいなところがあったけど、今は何をすべきか考えるように言われている」と語る。
 象徴的なのが5区の八木宏樹だ。序盤こそ逆転優勝を意識して突っ込んだが、先を走る佐久長聖の佐々木哲に追いつけないと判断すると、マイペースに戻した。結果的に佐々木は約半世紀ぶりに区間新記録を樹立。八木は追いかけすぎれば自滅して逆に順位を落とす可能性もあったが、冷静な判断で順位を守った。
 生田も区間3位の走りでまとめてフィニッシュ。「佐久長聖が強かった。自分としては悔いなくできたと思う」と振り返った。  すべての力を出し切れた、とは言えないかもしれない。だが、倉敷にとっては誇るに値する2位だった。【岸本悠】

◎ トピックス

◇信頼は自信に、区間賞 折田壮太 須磨学園・3年

 世代を代表するランナーが面目躍如の快走を見せた。須磨学園の3年生・折田壮太が各チームのエースがそろう1区(10㌔)で区間賞を獲得。28分48秒は2019年に佐藤一世(千葉・八千代松陰)がマークした1区の日本選手最高タイムに並ぶ好記録だった。「記録が作れたことはうれしいこと」と喜んだ。
 スタートからレースを引っ張りつつ、冷静だった。「集団の中でいかに後ろと差をつけるかだけを考えていた」と時計を見ずに集中した。  残り1㌔を切って、埼玉栄の3年生・松井海斗に前に出られたが、「焦りはなかった。最後に自分が勝つと決めていて、どれだけきつい状態であっても、(脚を)動かし続けるという練習をしてきた」。抜き返し、スパートをかけてデッドヒートを制した。
 兵庫県の淡路島出身。中学時代に地元の駅伝大会に出場し、陸上を始めた。ポテンシャルはあったが、高校入学後2年間は苦しんだ。2年春には腰を疲労骨折し、夏に気管支の病気で入院。元々悩んでいた貧血にも苦しみ、夏合宿で思うように走れなかった。
 負のループから抜け出せたのは仲間からの言葉だった。「『信じてるよ』という言葉を掛けてくれて。それが自分にとって救われた」。月に1回検査を受けるなど貧血予防に取り組んだ。今年9月、5000㍍で13分28秒78の高校歴代2位の快記録を出した。
 レース前夜には、宿舎の風呂場で仲間に感謝の言葉を述べて臨んだ。卒業後は大学に進学予定。「これが陸上人生の終わりではない。また自信に変えて、どんどんチャレンジしていきたい」と目を輝かせた。【生野貴紀】